12.8土居中魂の日

2024年12月8日 13時00分

人権劇「

ストーリーとして、主人公は中学3年生の『アイ』

1年生の時:IMG_1877

3学年交流授業で、テーマは『寝た子を起こすな』論は正しいか。

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「正しい」と主張する生徒がいた。「それではいけない」という生徒が多数の意見を述べるが、考えは変わらない。

帰宅後、アイは母と授業について話し合う。母から「部落差別は『見ようとする人しか見えない』から自分で学び、自分でしっかり見て伝えられるように」と言われる。アイは「家の外の世界では『部落差別』なんて『ない』ことになっているみたい。本当はいつだってこんなふうに話したい。」と母に語る。当事者の苦しみは、実際に差別されることだけではなく、日常の中で自分のことを話さないことにもあると感じ始めた。

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2年生の時:

総合的な学習の時間に、『性の多様性』の授業が行われることとなった。

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学級の雰囲気に真剣みがない。そこに性的マイノリティの立場の人はないという前提で行われ、軽い雰囲気で授業が流れていく。アイは授業の感想に「私が性的マイノリティの立場でならこのクラスには居たくない」と書いた。それを読んだ担任が個別に話をするが…。

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帰宅後、アイは母に「私がほしいのは味方ではなく『仲間』なんだ」と話す。

3年生:

再び『寝た子を起こすな』論を議論する授業がおこなわれることとなった。

アイは、その直前に1年生のときのことを思い出し、『正しくない』と分かっているけど、うまく伝える自信がない…。そのことを母に相談した。母からは、「『寝た子を起こすな』を実践するにはどうすればいいのかを考えてみよう」と提案がある。親子2人は思いを巡らせ考えてみる。アイは気付く「『寝た子を起こすな』を実践する。」のは不可能、『寝た子を起こすな』で部落差別をなくすのは…不可能。

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母は続けて、「『寝た子を起こすな』ではいけないのは部落差別だけではない。自分がマジョリティ側になればいとも簡単に、無自覚にマイノリティを排除してしまうこともある。差別は『する/しない』『したい/したくない』という問題ではなく、社会の中に『ある』ものだ。」そして、「自分の生活の中で、困っていないからこそ、考えるべきことがないか考えてみたら。」と言う。

そして、参観授業にて

アイは発言する。「知らない状態で悪意のある情報に触れ、それを信じてしまう人がいるということを考えると、知らないというのは差別をしなくて済むどころか、恐ろしいことだと言えるのではないだろうか。」「私たちは生活の中で、困っていないからこそ、考えるべきなのだ。」「差別について考える土壌が、今の日本の社会に足りていないのではないか。」と、

そして、『寝た子を起こすな』論は正しくないとみんなを納得させた。

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帰宅後のアイの家庭にて

母は、「社会の中で少数派であるということは、その社会の『想定内』に入れないということ。」「見えないぐらい細かい形で生活の中に紛れこんでいる差別や偏見があり、加害者は自分が差別していると認識していないことが、多い、もちろん私も。」「私はあなたたちを『強い』とされるような言動ができるように鍛えなくても生きられる社会をつくりたい。子どもをかえるのではなく、社会の方を変えていきたい。」など、様々なことをアイに伝えた。

アイは、「母はなぜ、こんなに強く優しく生きて行けるのだろう。それは、差別に対しておかしいと思い、見て見ぬふりをせずに生きてきた人だから」「私も、この社会の中で違和感やズレを感じている人たちをないことにしたくない。」「母のように生き、全ての人が生きやすい世の中にするために、私たちは学んでいかなければならないのだ。」と思う。そして、「社会を変えていくのは、私自身なんだ。」と強く思う。

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中学生としての3年間、人権問題に真剣に向き合う中で、親子で社会を変えていくんだという強い想いを共有した。